2012年02月

TIME と カイジ2

今週はインドつながりでジャカルタとムンバイに出張している。
(つながってるのは、インドという固有名詞だけ)

行きの飛行機で「IN TIME」と「カイジ2」を見た。

どちらも、格差社会を時間とお金で表現している。
私は、今インドに滞在しているがインドの町は非常にカオスでありつつ
人々の暮らしがはTIME流だと非常に贅沢だ。

金銭的な贅沢は、表層的であり価値は高くないと思わせる何かが
この国にはある。
お金で買える贅沢よりも、買えない贅沢は何なのかを
教えてくれる。
お金を持ってない分(あえて持たないと言おう)、豊かな心を持っている。
インドの人々は、究極の暮らしをあえて選択しているとしか思えない。
激しい滝に打たれて修行するのと同じ様に。
でなければ、数千年もこのような生活に甘んじるわけがない。

修行者の街。インド。

さて、インドはワークシェアリングが非常に発達(前向きな発言)している。
日本なら一人でやる仕事を4人位でやっているかと思えば、
一日中ほとんど仕事をすることなく只、
家の前でたたずんでいるおじさんがいる。

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<インドのタクシーとたたずむおじさん>


こんなおじさんに道を聞くと、満面の笑顔で首を横に振りながら一生懸命に教えてくる。
このおじさんの天職が道を教えることではないかと思えるくらい。

お金はないかもしれないけど、卑下するわけでなく幸せがあふれている人々。
渋滞で動かない車列に物乞いのお母さん。仕事として割り切っているのであろう。
顔の汚し方の演出が最高である。(こんなことを書くと怒られるかもしれないが、
らしさを色々演出しているとしか思えない。だとすれば演技下手なのか。)
映画の撮影を見ているようで、恥ずかしさの微塵もない姿は輝き、誇りすら感じる。

お金はモノでしかなくモノはいずれ消えるもの。
そんなモノを求めるのは空しいだけ。
心、精神といった人間本来の姿を求め、利他の心を磨くことに人生を捧げ、後世に引き継いでいく。

繰り返すが、インドの暮らしは修行の場である。

映画「TIME」の中で彼らや我々日本人が出演したら、インドの街にあふれている人々は富裕層で、
我々日本人は、時間に追われる貧困層。
時間に追われ、お金に追われ、人とのふれあいを避け
幸せを失っているのに、気づかずに生きる人々。

さて、そんな修行僧の日常を覗かせてもらった。
今日は、午後からこちらのパートナー企業の人が参加しているクリケットの試合を
見学させてもらった。ルールはよくわからないけど。

みんな本当に仲がいい。
リーダーを中心に、みんな抱き合い、叫びあい、握手し喜びを分かち合う。
きっと仕事でもそうなんだろう。

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<試合後に喜び分かち合うメンバー。久しぶりに勝ったとのこと>

自分自身が忘れていた、何かがこの国にはある。

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<とある会社のオフィス>

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<オフィスの外は工事中>

また、インドネシアのジャカルタは既に都会の洗練があった。
日本から移住しても快適に暮らせそうである。

人々の成長の意識は非常に高く、チャンスと思えばその場で決断し勝負してくる。
目の輝きが強く、見えない未来は明るいと確信している人がいたるところにいる。

自分で腹をくくって勝負にでる。
そんな勝負をしている人に日本ではありえないくらい多く出会えた。


日本は、死んでいるとは言わないけど勝負しないで生き続けるのは
「カイジ」流では地下の住人であって、お墓の中で生きている様なもの。
今の日本は、地下暮らしが長すぎて地上の太陽を忘れている。

人間は無限の太陽と共に、無限の幸せを得られることを忘れてはいけない。

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<ジャカルタの街並み>

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